客観的に思い出す自分

考える、書き出す、見直す。

名前

幼稚園児の頃。仲のいい友人と、4人でいることが多かった。

2人活発、2人は付いてく。私は付いていく方。

1人なになにちゃん、1人ほにゃららちゃん、2人ごにょごにょちゃん。私はごにょごにょちゃん。

 

私と同じ名前の子がいた。呼び分ける為にその子にはにょーちゃんってあだ名が付いて、私はごにょごにょちゃん。

あだ名ってなんか特別だなって思って、私もあだ名で呼んでほしいって言った。

でも友だちには「なんで?にょーちゃんはにょーちゃん、ごにょごにょちゃんはごにょごにょちゃん。いいでしょ?同じ名前だからそうするんだよ」って言われた。

そっかって、残念に思った。自分の名前に特別感をちょっと感じなくなった。

 

 

 

自分の名前の意味を調べようって授業。小学生時代か。

姉、私、妹は名前に共通点がない。「〜子」とか、春夏秋冬がそれぞれ付いてるとか、花の種類から来てるとか。なんの共通点もない。

親に聞けば「音だけ先に決めて、あとは漢字の画数を考えてそうなったんだよ」って。

なんでこういう漢字になったかはわかった。じゃあごにょごにょっていう音の意味は?って聞くと、「ないよ。あえて言うなら音が良かったから、とか」って。

えー、そんな理由なの?って言えば、同じ小学校に通う姉に「私もその授業で同じこと親に聞いたけど、同じ答え返って来たよ」って。

じゃあそういうもんなんだって思ってそのまま発表した。

 

ほにゃほにゃくんは「こういう意味がある」。やんやちゃんは「こういう意味がある」。

私の番が来て、発表した。

そうしたら「それって意味ないってことじゃん。そんなことないでしょ。宿題やってきてないんじゃないの?」って声が上がった。これ言ったの誰だったかな、先生だった気がするんだけど、どうだったかな。

それから私の名前から特別感が消えた気がした。

 

 

 

苗字で呼ばれるとなんとも思わない。普通に反応する。だって私はぺけぺけ家に生まれたぺけぺけさんだから。ぺけぺけには先祖とか、武家だったとかその土地特有から来てるって理由があるし。でも名前を呼ばれるとちょっと頭がもやってする。

ひどかった時は口で返事はしてるけど、頭で「私ってごにょごにょだっけ」って思ったりした。2回くらいだけ。

 

ただ仲のいい子から言われるごにょごにょちゃん、にはなんとも思わないで反応できたし、できる。その子の中でちゃんと私は「ごにょごにょちゃん=私ちゃん」って意味があるから。そういう概念であるから。

でも別段仲のいいわけでもない人からごにょごにょちゃんって言われると、未だにもやって頭がなる。

初めての(ということになっている)バイト先でそれは顕著に表れた。

高校時代が終わる頃に始めたバイト。高校でちょっと、だいぶ厳しい状況になっていた私は、ここで立ち直らなきゃこれから一生立ち直れないぞって自分を奮い立たせてた。

幸運なことにバイト先はいい人ばかりで割とすぐに溶け込めて、仕事に関しては高校時代一回教わったら覚えなきゃいけない状況でマネージャー業をしていた経験から割と早いペースでできるようになり、といった感じだった。

ただ出勤回数が片手で足りるくらいの段階で先輩からごにょごにょちゃんって呼ばれるようになり、少し頭が痛かった。

初めて呼ばれた時は返事をするのに間を空けてしまったし、顔も歪んでいた気がする。

高校時代、部活仲間からごにょごにょって呼ばれていた時とは明らかに違う空っぽな響きに帰ってから少し泣いた。

 

今でもその先輩方にごにょごにょちゃんって呼ばれてるけど、なんとも、普通に反応できる。

やっぱり私の名前には、呼んでくれる人の中で意味を持ってくれないと、まだキツいと思う。

 

 

マネージャーになりたての時、顧問からごにょごにょって初めて呼び捨てされた時は死ぬほどビックリしたし、プレイヤーにもなんの前触れもなく呼び捨てされて驚いたけど、高校っていう舞台はいろんな所から初対面の人たちが集まるから、その中で私の名前を知っててくれたんだって、少し嬉しくもあった。でもやっぱり驚きの方がでかかった。

書き出すと、読み返すと、結構思い出すことある。

ミケが死んでからちょっとショックで近所の野良猫に会っても挨拶をしなくなった。気付いたら猫の顔揃えが変わってて、その中にミケに似た猫がいた。

こげ茶色ベースに黒い毛の猫。三毛猫の定義にはやっぱり当てはまらない。ミケとは黒い毛が占める範囲とかヒゲの数とか耳の形とか、明らかに違うところがあってミケじゃないってことはすぐにわかった。でも似てたから、ミケの子どもなのかな、とかちょっと漫画チックにミケの生まれ変わりかも、とか考えた。ミケは妊娠しないよう手術受けてたのか、むしろオスなのかメスなのか、わからん。

 

心が温かくなって、それからまた近所の猫に挨拶をするというちょっかいをまた再開した。

やっぱりその猫見かけた時が一歩先嬉しくて。腕2本伸ばしたくらいの距離の近さまで近づけるようになった。

その猫の目の色を見て、やっぱりミケじゃないなって改めて思って、その時だけちょっと悲しさが戻ってきて。

 

今はもう見かけないけど、可愛かったなって思う。

声をかけられやすくて悩んだ。

中学生の頃から声をかけられやすいことについて悩んでいる。

ただ歩いてるだけなのに道を聞かれ、友達といるのに道を聞かれ、なんてったって答えられない場所じゃないから答える。

悪い人でもなさそうな印象の人ばかりで、おばちゃん、外人とか。

 

ただ聞かれてるだけだから、ただ答えてたけど、知らない人に声をかけられても話を聞いてはいけませんって毎年授業で言われてれば不安にもなる、でしょう。

え、これ悪いことしちゃってるのかな私。って。

 

今思えば昔の私は単純に言われたことを受け止めてて。二つの真逆のこと言われればずっと考え込んでた。バカみたいに。

親に「口に物が入ってる時は口は閉じるの」って言われて育って、ある時「ご飯とおかずは一緒に食べるの」って言われた時は、「口に物が入ってる時は口を開けちゃいけないのに、どうやって一緒に食べるんだろう?」って本気で考え込んだ。

ご飯を口に入れたら口は開けられないし、おかずを口に入れたら口は開けられない。

どうすれば一緒に食べられるのか聞いたら、「ご飯の上におかずを乗せて、一緒に口に運べばいい」って言われた。お箸の持ち方が悪かった私はご飯が溢れたりおかずを落としたりしてそんな器用なことなできなかった。

結局おかずを食べて飲み込んで、そのおかずの風味が残ってるうちにご飯を食べるって方法で落ち着いた。

いつしかご飯を口に入れて、一回口を閉じて、おかずを取って、口を開けて、おかずを口に入れてもいいんだって、親の食べ方を見て学んだ。「そっちが口に物が入ってる時は口を開けちゃダメって言ったのにな」って思いつつ。

 

この食事中のマナー問題レベルで声をかけられる問題についても悩んだ。

どうやったら声をかけられないのか、とりあえず私は道行く人と目が合わないように俯いて歩くようになった。そんな態度なのに声をかけられることもあったし今もある。疑問。

 

ミケが死んでからもしばらく声をかけられることに悩み続けて、ある日ミケに相談したらどうかな、って考えた。

多分恥ずかしい話なんだけど、ミケに相談してたことって結構ある。どんなこと相談したかは覚えてないけど、一言一言の間にニャーって返事をしてくれるミケの対応に満足してたから。

 

「ミケ、今日はなになにをしたよ」

ニャー

「それでこういうことがあったよ」

ニャー

「どうだと思う?」

ニャー

 

たまに返事をしてくれる時に何秒か間が空いたり、瞬きしてからニャーって言ってくれた時は、あ、今めんどくさいのに返事してくれたのかなって勝手に解釈してた。

返事してくれなかったことは、なかったんじゃないかなあ。都合のいいように覚えてるだけかも。

 

それである日ミケに相談したいなって思って、でもミケ死んでるしなあ、って思って、もう別に死んだことに関して悲しくはならなかったけど、嫌だなって思ったりはした。

家族に「ミケ最近いないね」って言われて「死んだんだって」って言った時も別に悲しくなかった。嫌だな、とは思ったけど。

 

ミケはなんて言うかなって考えて、なんか、なんかほんとにわからないけど、もしかしたら私に声をかけてくる人はミケなのかもって思った。ミケが私と話したくて人に取り憑いて、私に声をかけてきてるのかもって。それならかわいいし嬉しいなって思って。

なんかそれを思いついた瞬間面白くなって、それからその件に関しては悩まなくなった。

今となっては道を聞かれたらなんとも思わずわかる限り答えるし、一緒にそこまで行ったりする。

その人がミケなんて思わなくなったけど、思い始めた頃は声かけられて答え終わるたびに「ミケだった」って思ってたなって。今書いてるなかでそういえばそうだったなって思い出して、ミケがこの問題解決してくれた訳だって、感謝、感動してる。

中学生になるまで背の順は後ろの方だった。

私は私の身長は「年齢×10」になってくもんだと思ってた。

 

15歳になったら150cm、18歳になったら180cm。毎年10cm伸びる計算。

 

中学2年から身長変わらないのですがそれは。

三毛じゃないのにミケ

姉は小学生、私は園生。

私の同い年の幼馴染のお姉ちゃん(小学生)が、登校の際に姉を迎えに来ていた。

 

そのお姉ちゃんが家の前で野良猫を手懐けてた。

こげ茶色をベースに黒い毛を生やした薄緑色の目をした猫だった。ミケって呼んでた。

なんでミケなのか聞いたら「三毛猫だから」って言われて納得してたけど、今思えば三毛猫じゃない。

でもミケっていったら私の中じゃミケだ。三毛猫を思い出すんじゃなくてミケ。ミケがゲシュタルト崩壊してきた。

 

お姉ちゃんと姉は抱っこできてた。普通に胸に抱いてた。膝に乗せたり。

私はミケの脇を抱えて、足びろーんってさせて持ってた。抱っこじゃない。持ち上げてただけ。へっぴり腰で。

例えを出すとすると、アイススケートとかローラースケートで転ぶのが怖くてゆっくり両膝をついて、その態勢から立ち上がろうとしたけど膝を伸ばしきることが出来ず手を前に突き出した状態。

そんな感じで持ち上げられてもニャーニャーめっちゃ鳴いて抗議して来るミケが怖くて、地面に下ろしてあげることもなくぽーんって投げてた。

ミケはそのままどっか行っちゃうこともあるし、数歩歩いたところで座ることもあった。

思い返せば小学生になってもちゃんと抱けたことはなかったな、と。

ご飯あげたこともなかったのに、よく話したり遊んでくれたなあ。

私は昔猫と話せるって言ってた。まあ話せてなかったけど。遊んでくれてたとは思ってる。今でも。

 

中学生の時か、小学生高学年だったか思い出せないけど、ミケが死んだって知った。

近所のおばちゃんが野良猫に餌やってたからミケがうちの近くにいた。

ミケは「ミケー」って呼ぶと返事して出てきてくれてた。いない時はいなかったけど、結構な頻度で出てきてくれてた。

出てくれない時期が続いて変だなーって思ってたら、話したこともないその近所のおばちゃんが声かけてくれた。生まれて十何年しか生きてない私より背が低い歳老いたおばちゃん。

「ミケちゃんね、1週間くらい前に死んじゃったのよ。ずっとあなたがミケちゃんを呼んでる声が聞こえてたんだけどね、可哀想で言えなくて、ごめんね。ミケちゃん最後はずっと私の家に居てね、老衰だったよ。ちゃんとしたところで焼いてもらって、寂しくないようにペット達が入るお墓に入れてもらったからね」

すごく優しい顔してた。

私は「そうですか」って言葉しか出なくて、そのまま帰った。

ただいまーって母親に言って、一番奥の部屋に直行。座布団引っ張り出して顔押し付けて声出さないようにして号泣。

 

園児の時と小学生低学年の頃は毎日のようにミケ呼んで撫でてたまに会話して。へっぴり腰のまま何回も持ち上げて投げてを繰り返して家の前まで連れてったりおばちゃんの家の前に連れてったり。

 

やっぱりミケ死んだのは中学生の時だったかな。たしか一時期知らない人に声をかけられることが多くてそれについて悩んでた時期があった。道聞かれたりするだけだけど、知らない人と話すのは危ないって学校で習ったり親に言われたりして間に受けてたから。友達といる時に外人に道聞かれてそれなりに頑張って答えてたら、友達が横から「ちょっとわからないです」ってわかる場所なのにそう言ったことに驚いたりして。

なんで声かけられるんだろう、無視するべきなのか、馬鹿正直に答えてる私はダメなのかって。

 

気分が落ちて帰り道ミケが視界の隅っこに見えたのにスルーすることが増えて。たまにひと撫でしてすぐバイバイして。ミケ最近見ないなーって思って、まあ野良猫だしそういうこともあるよな、って納得して。

久々にミケに会いたい!って思って1週間名前呼び続けて、死んだって知った。

 

今でもずっとミケのこと大好き。

テレビで三毛猫が映ると三毛猫だと思ってた頃あったなってふと思い出す。

 

小さい頃

私の一番古い記憶は赤ん坊の頃。

目を開くと母親の後光に蛍光灯の光。

「鼻くそ取るよ〜」と綿棒を持ってる母親。

目を閉じた。

 

その次が喋れるくらいに成長した頃。

布団で目が覚めた。

真っ直ぐ歩くと左手にキッチンがある。そこから母親の声が「顔洗って来な〜」と。

たぶん朝ごはん作ってた。

廊下に出て突き当たりが洗面台。

鏡を見て「あ、私」ってなんか一瞬思った。

なんの違和感もなく蛇口捻って顔洗ったのかな。たぶん。

 

断片的に覚えてるこの二つの記憶が私を認識したその時の記憶。だと思う。