客観的に思い出す自分

考える、書き出す、見直す。

三毛じゃないのにミケ

姉は小学生、私は園生。

私の同い年の幼馴染のお姉ちゃん(小学生)が、登校の際に姉を迎えに来ていた。

 

そのお姉ちゃんが家の前で野良猫を手懐けてた。

こげ茶色をベースに黒い毛を生やした薄緑色の目をした猫だった。ミケって呼んでた。

なんでミケなのか聞いたら「三毛猫だから」って言われて納得してたけど、今思えば三毛猫じゃない。

でもミケっていったら私の中じゃミケだ。三毛猫を思い出すんじゃなくてミケ。ミケがゲシュタルト崩壊してきた。

 

お姉ちゃんと姉は抱っこできてた。普通に胸に抱いてた。膝に乗せたり。

私はミケの脇を抱えて、足びろーんってさせて持ってた。抱っこじゃない。持ち上げてただけ。へっぴり腰で。

例えを出すとすると、アイススケートとかローラースケートで転ぶのが怖くてゆっくり両膝をついて、その態勢から立ち上がろうとしたけど膝を伸ばしきることが出来ず手を前に突き出した状態。

そんな感じで持ち上げられてもニャーニャーめっちゃ鳴いて抗議して来るミケが怖くて、地面に下ろしてあげることもなくぽーんって投げてた。

ミケはそのままどっか行っちゃうこともあるし、数歩歩いたところで座ることもあった。

思い返せば小学生になってもちゃんと抱けたことはなかったな、と。

ご飯あげたこともなかったのに、よく話したり遊んでくれたなあ。

私は昔猫と話せるって言ってた。まあ話せてなかったけど。遊んでくれてたとは思ってる。今でも。

 

中学生の時か、小学生高学年だったか思い出せないけど、ミケが死んだって知った。

近所のおばちゃんが野良猫に餌やってたからミケがうちの近くにいた。

ミケは「ミケー」って呼ぶと返事して出てきてくれてた。いない時はいなかったけど、結構な頻度で出てきてくれてた。

出てくれない時期が続いて変だなーって思ってたら、話したこともないその近所のおばちゃんが声かけてくれた。生まれて十何年しか生きてない私より背が低い歳老いたおばちゃん。

「ミケちゃんね、1週間くらい前に死んじゃったのよ。ずっとあなたがミケちゃんを呼んでる声が聞こえてたんだけどね、可哀想で言えなくて、ごめんね。ミケちゃん最後はずっと私の家に居てね、老衰だったよ。ちゃんとしたところで焼いてもらって、寂しくないようにペット達が入るお墓に入れてもらったからね」

すごく優しい顔してた。

私は「そうですか」って言葉しか出なくて、そのまま帰った。

ただいまーって母親に言って、一番奥の部屋に直行。座布団引っ張り出して顔押し付けて声出さないようにして号泣。

 

園児の時と小学生低学年の頃は毎日のようにミケ呼んで撫でてたまに会話して。へっぴり腰のまま何回も持ち上げて投げてを繰り返して家の前まで連れてったりおばちゃんの家の前に連れてったり。

 

やっぱりミケ死んだのは中学生の時だったかな。たしか一時期知らない人に声をかけられることが多くてそれについて悩んでた時期があった。道聞かれたりするだけだけど、知らない人と話すのは危ないって学校で習ったり親に言われたりして間に受けてたから。友達といる時に外人に道聞かれてそれなりに頑張って答えてたら、友達が横から「ちょっとわからないです」ってわかる場所なのにそう言ったことに驚いたりして。

なんで声かけられるんだろう、無視するべきなのか、馬鹿正直に答えてる私はダメなのかって。

 

気分が落ちて帰り道ミケが視界の隅っこに見えたのにスルーすることが増えて。たまにひと撫でしてすぐバイバイして。ミケ最近見ないなーって思って、まあ野良猫だしそういうこともあるよな、って納得して。

久々にミケに会いたい!って思って1週間名前呼び続けて、死んだって知った。

 

今でもずっとミケのこと大好き。

テレビで三毛猫が映ると三毛猫だと思ってた頃あったなってふと思い出す。