客観的に思い出す自分

考える、書き出す、見直す。

声をかけられやすくて悩んだ。

中学生の頃から声をかけられやすいことについて悩んでいる。

ただ歩いてるだけなのに道を聞かれ、友達といるのに道を聞かれ、なんてったって答えられない場所じゃないから答える。

悪い人でもなさそうな印象の人ばかりで、おばちゃん、外人とか。

 

ただ聞かれてるだけだから、ただ答えてたけど、知らない人に声をかけられても話を聞いてはいけませんって毎年授業で言われてれば不安にもなる、でしょう。

え、これ悪いことしちゃってるのかな私。って。

 

今思えば昔の私は単純に言われたことを受け止めてて。二つの真逆のこと言われればずっと考え込んでた。バカみたいに。

親に「口に物が入ってる時は口は閉じるの」って言われて育って、ある時「ご飯とおかずは一緒に食べるの」って言われた時は、「口に物が入ってる時は口を開けちゃいけないのに、どうやって一緒に食べるんだろう?」って本気で考え込んだ。

ご飯を口に入れたら口は開けられないし、おかずを口に入れたら口は開けられない。

どうすれば一緒に食べられるのか聞いたら、「ご飯の上におかずを乗せて、一緒に口に運べばいい」って言われた。お箸の持ち方が悪かった私はご飯が溢れたりおかずを落としたりしてそんな器用なことなできなかった。

結局おかずを食べて飲み込んで、そのおかずの風味が残ってるうちにご飯を食べるって方法で落ち着いた。

いつしかご飯を口に入れて、一回口を閉じて、おかずを取って、口を開けて、おかずを口に入れてもいいんだって、親の食べ方を見て学んだ。「そっちが口に物が入ってる時は口を開けちゃダメって言ったのにな」って思いつつ。

 

この食事中のマナー問題レベルで声をかけられる問題についても悩んだ。

どうやったら声をかけられないのか、とりあえず私は道行く人と目が合わないように俯いて歩くようになった。そんな態度なのに声をかけられることもあったし今もある。疑問。

 

ミケが死んでからもしばらく声をかけられることに悩み続けて、ある日ミケに相談したらどうかな、って考えた。

多分恥ずかしい話なんだけど、ミケに相談してたことって結構ある。どんなこと相談したかは覚えてないけど、一言一言の間にニャーって返事をしてくれるミケの対応に満足してたから。

 

「ミケ、今日はなになにをしたよ」

ニャー

「それでこういうことがあったよ」

ニャー

「どうだと思う?」

ニャー

 

たまに返事をしてくれる時に何秒か間が空いたり、瞬きしてからニャーって言ってくれた時は、あ、今めんどくさいのに返事してくれたのかなって勝手に解釈してた。

返事してくれなかったことは、なかったんじゃないかなあ。都合のいいように覚えてるだけかも。

 

それである日ミケに相談したいなって思って、でもミケ死んでるしなあ、って思って、もう別に死んだことに関して悲しくはならなかったけど、嫌だなって思ったりはした。

家族に「ミケ最近いないね」って言われて「死んだんだって」って言った時も別に悲しくなかった。嫌だな、とは思ったけど。

 

ミケはなんて言うかなって考えて、なんか、なんかほんとにわからないけど、もしかしたら私に声をかけてくる人はミケなのかもって思った。ミケが私と話したくて人に取り憑いて、私に声をかけてきてるのかもって。それならかわいいし嬉しいなって思って。

なんかそれを思いついた瞬間面白くなって、それからその件に関しては悩まなくなった。

今となっては道を聞かれたらなんとも思わずわかる限り答えるし、一緒にそこまで行ったりする。

その人がミケなんて思わなくなったけど、思い始めた頃は声かけられて答え終わるたびに「ミケだった」って思ってたなって。今書いてるなかでそういえばそうだったなって思い出して、ミケがこの問題解決してくれた訳だって、感謝、感動してる。